IE9ピン留め

ついでに書いておく

先日帰省した折、和田慎二先生追悼企画の一環として、ひさびさに
「スケバン刑事Ⅱ」(南野陽子ね)のDVDを観賞した。

辰巳琢郎が悪役で登場する第五話が興味深い。

辰巳が塾頭を務めるなんちゃら塾は、秀才が集まることで知られてい
る。入るだけでも大変だ。南野扮する二代目スケバン刑事は、この
なんちゃら塾と闇の組織「青狼会」が良からぬつながりを持っている
らしいとの報告を受け、潜入捜査を試みるべく、お目付役の西脇さん
(蟹江敬三)の猛特訓を経て、入塾試験でギリギリ補欠合格。どうでも
いい話だが、小学生の頃、私の周りには、西脇さん(蟹江)のファンが
結構いた。私もその一人だったが。

潜入捜査の末暴かれるなんちゃら塾の実態が凄い。

「学校が何だ!なんちゃら塾こそ真の教育だ!」とかなんとか、はちまき
締めた塾生たちに叫ばせているあたりも凄いが(このあたりの描写は、
中学受験ギョウカイでも有名な某塾を彷彿とさせるものがある)、もっと
凄いのは ↓ 。

なんちゃら塾は、「秀才ドラフト」と称し、進学実績のない地方の私立高校
に塾生たちを形式上転籍させ、その見返りに、高額な謝礼を受け取って
いる。んで、この高額謝礼が「青狼会」に流れている。しかし、秀才の数は
限られている。コンスタントに高額謝礼を得たいのに。
そこで辰巳琢郎は考えた。
「大して優秀じゃない塾生も秀才ってことで紹介しちゃえばいいじゃん。謝礼
はその時点でもらえるわけだし」
というわけで、南野陽子の顔見知りで今一つぱっとしない少年に網走(!)
かなんかの高校への転籍が勧められたりする。

五話あたりの敵は一回できっちり滅ぶお約束なので、辰巳も私立高校関係
者の皆さんも、ヨーヨーの一撃でやっつけられて終わる。

辰巳琢郎の露骨に差別的な台詞の数々もあいまって、30分ドラマとしては
ありえないくらいの完成度でございました。

脚本書いた人は教育ギョウカイに一家言お持ちの方だったのだろうか。

# by sega-matsu | 2011-08-25 18:30

裁判て、

およそ一年ぶりに電話をくれたその友人は、開口一番、次のごとき質問を投げかけてきた。

「あんた、訴えられてんの?」

その友人が言うことには、一年以上前、私が旧戦犯収容所にほど近い立地の某私立学校で起こった裁判の傍聴に関する記事を最後にこのブログを閉鎖したのは当該私立学校から名誉棄損で訴えられたせいだという噂を耳にしたというのである。

どの程度の規模で広まってる噂なのかしらん。
どこが出所なのかしらん。

いや、裁判所からは何の通知も届いておらず、そもそもこのブログは閉鎖されておらず、それ以前に、このブログが開設後間もなくあってないに等しい更新頻度となったことは多くの人の知るところであり、裁判沙汰になるネット上の言論がどういうものかも心得ているつもりなので心配御無用なのだが(「某月某日東京地裁で裁判があって傍聴した」という事実の記録が名誉棄損に問われる可能性はゼロを下回る)、もしや、誰かが本当に訴えられてて、私と取り違えられたりしているのか??あるいは、もうすぐほんとに訴えられちゃうフラグなんだろうか?

くわばらくわばら。

にしても、このギョーカイ、ほんとに拡大解釈とガセネタが多い。

方や、負の情報となると、上述某私立学校の裁判のごとき単純な事実すら隠蔽しようと必死な人たちがいて、光倶楽部事件があっても東大ブランドがびくともしなかったように、何かが確立されているなら、たかだか裁判一つでイメージダウンなんてしないからもっと悠然とお構え遊ばせ。と、厭味の一つも言いたくなるというもの。

某私立学校の圧力に屈してブログを閉鎖したなどという噂は甚だ心外であるので、そんな事実は存在しないということだけ久々記念に書いておきたい。

じゃあなんで前の記事消しちゃったか。

それはね、教育言説を紡ぐ行為それ自体の不毛と限界を学習したから。
これはもう、構造的な問題。でもある。
そこらへんは、前の記事にも書いたところであります。

# by sega-matsu | 2011-08-25 18:12

自意識過剰な辞意

さて、長らく更新していなかったが、今回は終了のお知らせである。

件の新書二冊を上梓して以来、「次の執筆のご予定は??」と聞かれることしばしばだが、そういうものはないし、書きたいとも思わない。中学受験ブームという現象とその語られ方に対する私なりの問いかけは、これまでの二冊の本の中で既に終わっているし、受け手がそれをどう受け止め、何が新しく語られていくかは、一人一人の受け手・語り手に委ねられるべき事がらだろう。

私は、インタビュー等の取材を受けるたび、絶対に「教育評論家」という肩書を加えないでほしいという要望を先方に伝えてきた。これまで通り歯に衣着せずに言うならば、「教育評論家」という職業の胡散臭さと偽善臭さと嘘臭さは、なかなか、ちょっと、他にない。いや、評論したければしてもいいし、やめろと言う権利もないのだが、親受けしそうなタイトルで本書いて、教育雑誌を中心に露出増やして、頻繁な講演活動(もちろん有料)にシフトしていく。前書いた本とほとんど同内容の焼き直し本も書く。コンサルも始める。で、だんだん「国」のあるべき姿かなんかについて語り出したりして、不勉強なまま政治批評まがいのことを始めたりする。まあ、半分愚痴だけど。そういう、「教育評論家」という肩書の人にありがちな振る舞いのパックっちゅうか、渡世マニュアルみたいなものにのっとりたくはないなあ、かっこ悪いなあ、恥捨てないとできないなあ、ということを、私はけっこう真剣に考えてきた。

特に、教師や塾講師という肩書の人が本を書いてちょっと当たり、本職の教師や講師を辞めてしまった場合、先の「ありがち教育評論家渡世マニュアル」にのっとらざるをえなくなることが多いようだ。というのも、きたない部類の話だが、本が当たってメディアがちやほやしてくれるのなんてほんの一瞬だから、辞めちゃった本業で得ていた収入に見合うだけの食い扶持を手にするためには、コンサルやら講演やら焼き直し本の執筆やらをやらんければならんからである。それを自分もやるのか?やらんのか?

結論として、教育評論なんて職業としてやるもんでもないと思うし、したり顔で「あなたのお子さんは」なんて語るようにもなりたくないし、とにかく恥を捨てたりかっこ悪いことは御先祖や親に申し訳なくてできないので、そろそろ辞めて、地味に家庭教師やりつつ研究に精を出しつつ生きていくことにした。

教育という主題をめぐって、まだ二つほど言うべきことは残されているが、制度論的な問題について不勉強で何も書けない。お勉強がちゃんと終わって書けるようになったら、それはその時。


   
                                       2011年1月31日 瀬川松子


# by sega-matsu | 2011-01-31 12:33

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